;

2011/08/19

初めての音楽制作その1

見出しに書いておいてなんだけど、いきなり昔話から書いてみる。(ちなみに酔っ払ってるときしか書きませんw)

小学生の頃、何らかの技術者になりたいって思ってた。工作大好き。ただしプラモとかそういう既製品にあまり興味は深くなく、基本はカマボコの板を土台にして作るものが好き。当時全盛期だったマブチモーターとか好き。ラジコンとかフレームさえ走ればOKで、うわものに余り興味なし。電子工作に興味がわく。初めては「初ラ(初歩のラジオ)」「ラ制(ラジオの製作)」だったかな?最初の電子工作は鉱石ラジオ(ダイオードじゃないところが味噌)たまたまオヤジが鉱石をもってたから…今考えるとでっかい石。針で支えてるし。
作ったもののイマイチ(原因はコイルが不足しすぎ)

その後は頭の中にマイコンブームとシンセブーム到来、コンピューターはHPとか色々ワンボード系マイコンがあった。特に興味が湧いたのがL-kit16(ボタンがいっぱいあるからw)
 まー小僧に財力はなく買うわけもない。秋葉原のショールームに通う。基本はチャリンコで通う。(約20km)この当時はマイコン系やシンセサイザーのショールームがあった。丁度ローランドのショールームと東芝のショールームは同じビルに入ってたので一石二鳥なかんじ。それもあってかNECのショールームとか行かなかった、混んでるし。

 そんなこんなで中学生、姉と同じ中学なんだが、姉の担任は理科の教師。小学生の頃になぜかちょっとだけ先生知られる。入学したら別の担任だったがやっぱり理科の先生。けっこーここで将来が確定w担任が担当してる委員会、部活に入る。委員会は放送。部活は電子工学部。しょうじきどっちも逝っちゃってる。放送は、放送室っていう隠れ家でやりたい放題w部活は先輩ゼロw中一で部長…卒業するまで部長wそんな環境もあって理科だけは90点でも怒られる始末…放送は楽しかった。ここでテクノポップを先輩から伝授させられた。

 それまでは、冨田とかジャンミッシェルジャールとかそういう趣味だけだったのに、ニューウェーブを叩き込まれる。P-model、プラスティックス、ヒカシュー、一風堂、Ex、ついでにサカナとか、アナーキーとか…YMOももちろん、テクノポップ、ニューウェーブ三昧。まーそんな上下関係なので放送はシンセかテクノオンリーw

 放送室にある3ヘッドのオープンリールでテープエコーやフランジの技を覚える。こっちも2年から委員長(好き放題w)だったかな…自分的に中学は黄金時代。
 2年生あたりからバンドに目覚め、色々やってみたり…いま考える恥ずかしくて悶絶するレベル…アリスだったり、オフコースだったり、YMOもやるし高中もやる。「細江バンド」ってかね、なんでか解らないけどそうなる。意外とみんな仕切りたがらないっていうか、結果的にそうなってる。

 高校…放送部はそっこードロップアウト、ゼロからスタートとか無いってw、無線部に(当時の工業高校の無線部って悪い人の集まりだったような…)いわゆる学校行事の連絡系統役になるんでほとんどの集会に出席しないでいいっていうwあとね、コンピューター部にいた。ちなみに当時はパソコン部ってのがあったのかな〜。そっちはメジャーこっちはマイナーっていうか、オフコンでフォートランとか…カードリーダーでソフト書くのよ、パソコン部はゲームしてるのよ。 基本は無線部という名の帰宅部…バイクにハマって、バイク通勤(最後にバレたけど卒業間近だったんで許してくれた)、大垂水とか碓氷とか奥多摩とか通う…高校時代はいい思い出ない。親は3年連続呼び出し食らった。出席日数たらずw超アホす。授業でてないからほぼ1か2の成績表w情報処理系は寝てても成績MAXっていうレベルの低さw

 下らない哲学で中学の頃から先生と戦うのが好き。中学の時は国語の先生ともめる。暗記暗文?なぜ丸暗記する必要があるのか、それが勉強なのか、どうして必要なのかその暗記で得られるものは国語なのか?って理由。
 高校では社会の先生、年号を覚えるとか基本的に歴史でもめる。やっぱりそれはなぜ必要なのか、必要になったら調べる事ですむんじゃないかとか、時系列の詳細をことこまかに覚える事が歴史なのかと…そんな事よりどんな思想だったのか想像するほうが面白いのに…ついでに言えばそんな文献が本当の事ばかりなのかあんた保証するの?本人に聞いたの?本人の真意を聞いたの?みたいなw化石の疑惑もたたある昨今間違ってなかったな。
 専門学校でも、試験内容があまりに下らなすぎて、テスト用紙いっぱいに、いかに下らない試験かを書いて0点w会社入ってからもそうだったんだがw

 専門学校はCG科、選んだ理由は当時これからメジャーになるであろうC言語だったから、ついでに絵が結果としてでるのは面白そうだった。凄く自分が出来るわけじゃないけど、あまりに酷いアルゴリズム(計算方法)を教えてきたんで、文句付けたら自分が正しいのに怒られる。それもいいけど解りにくいって理由。いやいや、そんな次元の問題じゃなかったもん。
 専門学校もあんまり印象にない。出席してなかったからねw入ったのが1985年4月…いい友だちに巡りあったおかげで、ナムコのテストプレイのバイトを始める事になるわけだ。「ゲームしてお金もらえるんだぜっ」という誘惑に速攻メロメロw 2年制だったんだけど、1年はほぼ行ってない。行ってないけど卒業したw学校いわく就職率を高くしたい理由で、学校に行ってないのに卒業できる学校マジック。いま考えれば酷い学校だね。己の実績だけだせれば勉強とか出席なんて全然関係ないんだもん。ま〜学歴くれたからいいや…無駄遣いじゃねーかとも言うが…

 そんな学生時代です、もちろん嫌なことは美化されてます。基本的に大半の嫌な事は頭から消えちゃうんで(^^; 18歳あたりから社会人的にな部分に切り替わっていくんで、また後日!

 高校は授業で音楽自体がなかったんで教育は中学までしか受けてないっていうか、嫌いだったんで、ほぼ最低レベルの成績です。コピーバンドをやるようになった時期にとたんに成績は上がったかも、でも5段階で4までしか行かなかった…音楽に歴史問題とか愚の骨頂だろw

注・酔ってますからあまりマジ読みしない方がいいです

1 件のコメント:

Tranceformer Yuno さんのコメント...

前のブログから、ちょくちょく読んでるものです^^
めが先生の昔話はオモシロイので好きですw